『メイドインアビス 深き魂の黎明』ボンドルドの珍しさについて

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もうすぐメイドインアビスのTVアニメ2期が来る~♪楽しみ~♪

なのだけど、劇場版をまだ見てなかったので見ました。ボンドルド戦。期待を裏切ることなくすばらしかった。

で、このボンドルドというヴィラン、他にないタイプのヤバい奴だなぁと思うので、言葉にしてみたいと思った。以下、頭に浮かんだことのメモ。

ボンドルドはヤバい奴。でも、本当にインパクトがデカいし、ある種魅力的な(というと語弊があるかもしれないけどそれくらい突き抜けている)キャラクター。

すごいヤバいけど魅力的なヴィランって古今東西色々いるけど、ボンドルドの個性ってなんだろう。
まず、表情を見せない。一方で、口調と声が常に穏やかで紳士な雰囲気を醸している。(森川さんの演技は本当にすばらしいと思う)
で、純粋に倫理観がぶっ壊れてる。(命の扱いが残酷とか残虐の極み)
一方で、すごい狂気を感じる、とか、悲しいぶっ壊れ方してる、かというとそうじゃない。

何をするにも裏表がなく冷静で、本人は日々やりがいとか充実感を持って生きている感じ。

支配欲や復讐のような、他者ありきな目的は微塵もない。

ボンドルドを突き動かすのは自身の“憧れ”。
アビスの新しい世界を切り開く(=黎明)という固い意志、目的にまっすぐ突き進む。

目的のために自分の身体すらその道の一部(白笛)に変えている。

そんなボンドルドの考える”命”には身体(や身体と一体の個の意志)は含まれない。

”愛する”娘プルシュカの”命”も自分の道の一部。

ボンドルドは究極に自己中。

プルシュカに惜しみなく与えているように見える”愛”は

プルシュカの先に見えている自分の目的(黎明)に注がれている。

ボンドルドが重視する”魂”は”命”から抽出されている感じ。

ボンドルドの個も”魂”でのみ存在。プルシュカの魂は自分の身体を変化させることに使うことで

自分と一体となる、と考えると、ボンドルドの中では損なわれていない。

 

アビスの黎明という目的、自身の憧れのためには文字通り全て(身体、愛、他者)を手段にし、魂で突き進む男、ボンドルド。

魂が命や身体とともにある、と考える者(大多数の人間およびナナチ・リコ・レグ)からすれば、残虐の極みだけど、

魂と命・身体が分かれていて、他者(自分ではないけれど自分と同等に尊重されるべきもの)の概念もないとすると、ボンドルドの行動や生き方は矛盾がない、のかも。

 

なんか、思想史や哲学の授業のいい教材になりそうなキャラだね。(^^;