遅ればせながら、くらっぺ『はぐちさん』(1~6巻)にハマっている。
疲れている・がんばっている主人公(たいてい一人暮らしのハードワーカー)の元に謎の生き物が現れて癒してくれるパターンの作品は数あれど、私がこんなにも今はぐちさんを好きなのはなぜか。
「癒し」の要素にもいろいろあると思うが、ただただ、とことん「優しい」とか、プラス「かわいい」に留まるのではなく、はぐちさんはとっても「楽しい」のだ。
はぐちさんは、親やパートナーに求めたい「優しさ」、子どもやペットに求めたい「かわいさ」に加え、気のおけない友達に求めたい「楽しさ」を惜しみなく与えてくれる。
はぐちさんの多面性ははぐちさんの話す言葉にも表される。その時その時、はぐちさんが八千代に対して最適な役割を果たすのに、言葉も対応しているからだ。親のように八千代を褒めたり諭したりする時は標準語のタメ語、パートナーのように励ます時は関西弁風、子どものように無邪気にお願いするときはですます調というように。また、はぐちさんが一人の時に発する言葉や八千代の前で自由にしている時、つまりはぐちさんの”素”の状態では上のどれでもない口調である。
では友達はどんな言葉に現れてくるのかというと、不思議なことに上記すべての言葉・役割において通底していると思わされる。つまり、はぐちさんは八千代に対しても自分に対しても、常に楽しい方向でいてくれるのだ。
友達として楽しさを与えていくことの重要性について掘り下げてみる。
はぐちさんはノリがよく、八千代がいきなり始める遊びにもすぐに合わせる(逆もまた然りなのだが)。ちょっとした遊び、ユーモアを欠かさない。こうして知らず知らず、日常がつまらなくなることに対して、地味に、全力で抗えている。
何かや誰かをけなしたり、自虐したりして生じる笑いは人の元気を奪うものだ。いわばマイナスの笑い。
また、誰かが作ってくれたおもしろいものを見聞きすることで生じる笑いは、元気を奪わないにしても、生むことはない。いわばゼロの笑い。(励まされるコンテンツは別として)
それらに対し、自分が誰かと一緒に作り出す笑いはお互いに元気を与え合う。いわばプラスの笑い。
マイナスの笑いを排除してプラスの笑いを作り出せた時、「楽しさ」による癒しは最大の効果があると思う。
”恋人や配偶者はどんな人がいいか”をきかれて、「一緒にいて楽しい人」と答えるのを、私は昔よく聞いたのだが、本当に楽しくいさせてくれる相手は貴重なので、よい答えだな、と思う。