人生ってそうなのよ!『コーダ あいのうた』感想メモ

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忘れないうちにメモ〜

・言語ってそういうことじゃんね。先生に、自分にとっての歌とは?を聞かれて、「説明しづらい」ルビーが手話で表現して、そこには字幕がつかないの。(ちゃんとしてるぅ。)極端に言えば、これが例え他の言語のバイリンガルの子だったとしてもここで字幕をつけないのが正解じゃない?

・秋のコンサートでいきなりお父さん視点に変わった時のドキドキ、あれすごく良いね。最初、聴者の自分は急に静かになるのが不穏に感じてドキドキしてるんやけど、途中からはお父さんと一緒に周囲の人の感動してる様子で安心してくる。お父さんの安心を自分も体験しちゃう。

・お父さんがルビーに歌ってもらってのどに触れてるの、泣いた。ルビーはやろうと思えばいつでも歌に手話をつけられたと思うけど、それを敢えてずっとしてこなかったのもすごくよかった。コーダとろう者の親子の関係とはこうなんだなぁ!これが互いに妥協でなく分かり合うかたちなんだなぁと思った。

・最後の出発のシーンでお父さんのとっておきのGo!が聴けるのもいいよね。

 

・途中、二足の草鞋になったルビーがどっちもうまくこなせなくなったり、“タイミング悪っ”っていうことが重なったりするのって、もう映画としてはお決まりのパターンだしというか現実ってだいたいそうだし、と思うんだけど、「いい時なんてこない!」ってルビーがお母さんに言うの、ほんまそうやな!ってなる。そう。現実はいつだって、その時がタイミングであり、大変だったとしてもなんとかなるんだよな…

・お兄ちゃんええやつ。お兄ちゃんの中にルビーへの感謝と、プライドからくる悔しさやら妬ましさやら色々あるの良いし、両親と自分だけの平和な世界を良くも悪くも揺るがすルビーをそれでもちゃんとかわいがる、そのかわいがり方のバランスが最高。

・(家族・漁と自分の歌)どっちもやるのは大変なんだけど、どっちもやってるからどっちにもいい影響がある、ってのもちゃんと描かれてたな。歌に説得力があるのは家族との経験があるからだし、歌があるから家族の中で自分でいられるし。そして現実もやはりそういうもんな気がするなぁ。どっちかがどっちかの足を引っ張ってるんじゃなくて。

 

(下は瑣末なこと)

・先生がルビーの遅刻の理由とか最初聞かないの、欧米の感覚なのかな?ってなる。日本なら最初に理由聞いて、情状酌量してそうw(だから常に教員がブラックに?w)互いにプライベートを重んじる文化というかね。年頃の子が自分の部屋に誰をいつ連れてこようと干渉しないのとかも。