つづ井さんから考える友だち

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好きなマンガの1つに『裸一貫!つづ井さん』がある。(『腐女子のつづ井さん』から続くつづ井さんのシリーズは全部好きだが特に。)

このマンガはつづ井さんの”絵日記”なので、一応実在の人々の、事実に基づいている。しかし、それ時々信じられないようなつづ井さんと友だちのエピソードが描かれている。

つづ井さん本人の、ひとりでの(ソロでの)人生の楽しみ方が素晴らしいのは言うまでもない。その上で、私がとても惹かれるのは、出てくる友だちが全員つづ井さん並であり、自称「前世からの友」に一切の誇張を感じないその友だちとしての在り方なのである。(私の友だちにこのマンガを読んでもらったところ、「こんな人たち本当にいるの?」と疑っていた。)

とりあえずつづ井さんたちのうらやましいところを挙げてみる。

①互いの「推し」を尊重し合い、互のためにかけるコストが高い。

つづ井さんたちは、相手の好きなコンテンツを一緒に視聴したり、ライブや公演に同行したり、相手のために相手の好きなものを集めたり、なければ創作までしてあげたり、と、一緒になって楽しみ合う。

②遊びにおいて創造があり、幅が広い。

例えばただ何かを一緒に視聴するだけならば消費だが、ラップバトルをしたり、すごろくをつくったり、楽しさを作り出していくことへの貪欲さが感じられる。みんなを驚かせようと競い合おうとすることも多い。互いに対してエンターテイナーである。

③「楽しそうなこと」を誰かが提案したらみんなが即反応(だいたい快諾)する。

一言で言うとノリがよい。誰も自分のスケジュールや余力を気にしたり、めんどくさがったりしない。集まりやイベントが常に提案され、みんなのノリの良さ、連絡のマメさによって実現され続けることで、つづ井さんコミュニティがコミュニティとして存続している。

素をさらし合えていて、ものすごく失礼だったり不快だったりしない程度のちょうどよい自由がある。

お互いに気を遣い合いすぎると疲れるし、自由でいられない。そんな友だち関係は長く続かない。逆に自由になりすぎて互いを思いやれなかったら、やはり友達関係ではなくなる。

つづ井さんたちは、素をさらすことと思いやることのバランスがとれている。

 

 

なぜこのような友だち関係が成り立つのだろうか。

 

なぜ互のためにあそこまで高いコストをかけられるのか。

なぜ創造性豊かなのか。

なぜマメに反応できるのか。

なぜ互いに個性をぶつけ合い、受け入れ合えるのか。

私は、彼女らが「オタクで腐女子」あるいは「凝り性な成人女性」という共通点を持つことと深い関係があると考える。上記の問いを次の2つの要素から考えてみたい。

「オタクで腐女子」が持つ気質そのもの

「オタクで腐女子」が肯定される場・人の稀少性

 

〈途中。一旦休憩〉