『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のベストシーン

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『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を2020年9月18日の公開初日に見に行って、もうかなり時間が経ってしまったけど、考えたことの一部をメモしておこうと思う。

京アニの悲惨な事件があり、コロナがありで、私の大好きなこの作品が公開されたこと自体に涙してしまうわけだけど、しかも期待を裏切らないどころか上回ってくる仕上がりで、もう制作に携わったすべての人々に魂を込めて感謝と敬意をささげます!!!!
ということで語っても語り尽くせないような作品……なので、今回は私がこの映画で一番素敵だと思ったところだけまとめる。(ここから先がっつりネタバレです)

 

それは、ユリスとリュカの電話のシーン。ここ、何がすごいって、少年の最期の会話の相手が「友だち」であり、しかもそれをこの世界における新しい技術としての「電話」で行ってるんですよ……

まず後者の点から。

家族とも友だちとも直接は素直にやりとりできずに危篤を迎えたユリス。家族の方はちゃんと最期直接対面でやりとりできたし、ヴァイオレットの支援によって昔ながらのツールである手紙も残せた。手紙にしかない良さやその役割は十分に発揮させられた。これだけだったら今までのヴァイオレット・エヴァーガーデンで見せてもらったことと同じ。でもそこに上乗せして、新しい技術かつ、ヴァイオレットたちの仕事を脅かす存在ですらある「電話」を活用した!電話だからできること、電話の役割を見せてくれた。これはストレートに、新しい技術やもっと大きく言えば社会の変化を肯定して建設的に生きていくヴァイオレットたちの姿勢の表現だった。(アイリスはかなりあからさまで、敵視していた電話をユリスたちのシーンの後では直接褒めちゃってる。)ヴァイオレットたちにおいては手紙の代筆という生業が、いやでも影響を受ける新技術。だから怯えたり敵視したりする場合は多いし、むしろそっちが当たり前かも。歴史上も、今も、社会の変化に向き合うことのしんどさは普遍的にあって。だから私はこのシーンにすごく元気づけられる。単純に新しいものをもてはやすでもなく、古いものだけにこだわり続けるのでもなく、社会の変化(あるいは顕在化した多様性)に怯えず関わっていくこと。それぞれのバランスを取っていくこと。目的・本質を見失わないこと。賢さと優しさと、勇気がないとたぶんできないなぁ。

話は戻って前者の「友だち」について。

いやぁ。このシーン、上記の事で冷静な視点から感動していた一方で、ドラマに熱く感動して泣いてしまう。だって、死にゆく友にリュカが最後に贈る言葉が「ずっと友だちでいようね」ですよ……。(細かいところ違ってたらごめんなさい。1ヶ月以上前に1回見ただけの記憶です。)そんなん大正解やん!!!!それ以上に友達から最期に言ってもらってうれしい言葉ってあります??例えば今までありがとうとか大好きだよとか僕元気でがんばるよとか、何だってたぶん言われたらうれしいとは思うし、話せただけで、しかもユリスからしたら冷たくした負い目があったからそれを責められないだけでホッとしてると思うんだけど。死後の未来の関係性の継続に言及してもらえるって、なんかすごい。

ちょっと細かな違いを比較してみたい。

「友だちでいてくれてありがとう」だったらもうこれで友だちも終わり感がある。

「ずっと友だちだからね」だったら向こうの一方的な宣言だからいつかは忘れられるかもっていう不安がないでもない。

「ずっと友だちでいようね」は、提案。僕は君と友だちでいたいんだけど君もそうしてくれるとうれしいな、という奥ゆかしさ!優しい!あと気づいたけど、あくまで今死にゆくユリスを対象にしてて、生まれ変わりとかそういう要素もないのがすごい。やっぱこれが百点やで……。

そんな友だち、いたらいいな、とうらやましくなった。